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芸能人に似てると言われて嬉しい?嬉しくない?正しい外見の褒め方

投稿日:2016年12月5日 更新日:


おそらく大抵の方は、誰かと集まった席で「芸能人の〇〇に似てるよね」みたいな話題が上ったことがあると思います。

それが良い意味であっても、悪い意味であっても、少なくとも“その場を盛り上げる、キャラクター作りに貢献する”みたいなことでは、芸能人ネタは有効かもしれません。

ただ、美人の女優さんに似ていると言われて喜ぶ人がいる一方、お笑い芸人に似ていると言われて気分を悪くする人もいます。または、そもそも「誰かに似ている」と言われることに関して嫌悪感を抱く人も。

相手に対して、「外見を褒める」という行為は、もちろん“善い行い”としてするわけですが、どのように捉えられるかはまちまちです。

そこで今回は、相手の気分を害さず、間違った意図で解釈されない“外見の褒め方”についてご紹介したいと思います。

「芸能人に似ている」はNG?

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今話題の美人女優に似ている、と言われたら、ちょっと嬉しいかもしれません。顔のパーツだけでなく、髪型や雰囲気、というだけでも悪い気はしません。

とは言え、「もともとが似てる」ならいいですが、「まさか意識して真似てるんじゃない?」という意味での「似てる」であると、ちょっと内容が変わってきます。

それはいわゆる「オリジナルがない」とか、「自分に自信がない」「虎の威を借る狐」みたいな、逃げ腰の姿勢を指摘されているかのようです。

もちろん、それは“相手を褒めるために発した言葉”であっても、当の本人がどのように受け取って解釈するかは、わかりません。

比喩で表現する解釈の幅

外見を褒める際、たとえば芸能人ではなく「ライオンに似てるね」と言ったとします。ライオンのイメージというのは、たくさんあります。

猛々しい、野性味あふれる、強い、かっこいい、などなど。プラス面だけでなく、昼間はあまり活動せずに寝ているとか、メスライオンはオスライオンと違って地味だとか。

「あなたはまるでライオンのようだ」という比喩を使うことによって、様々な解釈が可能になります。つまり、比喩によって表現の幅を狭めようとしているのに、逆に解釈の幅が広まってしまう、ということです。

安易な比喩を使わないこと

人を褒めたいとき、比喩を使うことは簡単です。ただし、使うのであればできるだけ具体的な比喩を用いるべきでしょう。「あなたは咲いたばかりの真っ赤なバラのように美しい」と言われれば、褒め言葉となります。

しかし「あなたはバラのようだ」と言えば、「それってトゲがある、って言いたいわけ?」と解釈されないとも限りません。

安易に芸能人にたとえて得意げな顔をしている人は多いものですが、「必ずしもそれが褒め言葉として相手に伝わっている」わけではないのです。

もし、大雑把な比喩で相手を褒めるよりならば、あえて外見に触れないほうがお互いのためです。「芸能人に似ている」という比喩の使用に関しては、よく考慮した方がいいでしょう。

芸能人を比喩に使用する場合の良い例

もしどうしても芸能人にたとえたい場合は、このように使うといいでしょう。「先日見た映画にAっていう女優が出ていて、その人が出てくるシーンが大好きなんだけど、あなたその女優に似てるような気がする。私は好き」

これは、「あなたはあの女優さんに似て美人ね」という意味ではなく、「あなたは私の好きな女優さんい似ているから好き」という意味になります。

外見を褒められて嫌な気分になる人はいませんから、世の中でどのくらいのレベルの美人ね、という評価よりも、あくまで個人的に好きだ、という「個人の意見」を意識して伝えていくと良いでしょう。

見た目で判断される世の中?

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とかく世の中は見た目で判断されがちで、ブスより美人の方がいいのでしょうが、このような生まれ持ったもの、というのは自分ではどうにもできない部分であります。

たとえば、私は身長が165cmありますが、「背が高くてかっこいいね」などと言われることがたまにあります。けれど、大きいというには中途半端な上、女性らしくないと評価されることもあり、いっそのこと、もっと大きいか、すごく小さい方がいいのでは?と思います。

とは言え、「好きでこの身長になった」わけではありませんので、それを褒められようが貶されようが、感想としては「はあ…そうですか」しかありません。こればかりは、自分でコントロールできないからです。

私は見た目で判断しませんよ

とくに女性であれば理解していただけると思いますが、外見を褒められるよりも、努力を褒められた方が嬉しいと思います。

「美人だね」よりも、「そのネイルすっごいかわいい!」とか、「その服超似合ってる!どこで買ったの?」「ちょっと痩せた?」などです。

このような相手の内面の努力、隠れて見えない努力の部分を褒めることができる人は、「あなたのことを外見で判断しませんよ」というアピールができていることになります。

人の内面は外見に表れる…と言われることもありますが、どこぞの企業のように「ブスだから採用しない」とか、「美人だから接客に向いてる」みたいな“外見で勝負”ではなく、人と人の付き合いは内面を重視していかなければなりません。

相手の立場に立って…同意と共感

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「外見を褒めたい」のはなぜでしょうか。その人ともっと親密になりたい?その人を高く評価したい?良い気分になってもらいたい?それとも、ただのお世辞?

相手の立場に立って、「自分だったら言われて嬉しいだろう言葉」を考えますが、それが果たして相手にとって嬉しい言葉かどうかはわかりません。

つまり「私はあなたを褒めたい、評価したい、良い気分になってもらいたい」ということが伝わる言葉でなければ、相手に真意は伝わらないでしょう。

主観と客観

相手のことを詳しく理解している、できている、というのでもない限り、相手の「かけてほしい言葉」というのはわかりません。「かっこいいね」「かわいいね」という言葉でさえ、薄っぺらくなります。

では、そのようなわからないことを手探りで行って、博打のような行為をするよりなら、率直に「自分の伝えたいこと」を主観で伝えた方がスムーズなのではないでしょうか。

たとえば「あなたは客観的に見て、とてもモテそうね」と言われるより、「モテるかどうかは別として、私はあなたが好き」の方が、嬉しいと思いませんか?

これは「周囲があなたをどう評価するかわからないけれど、もし100人があなたを否定しても、私はあなたの味方よ」という意味に捉えることができると思います。

“客観性”というのは大事ですが、一対一の人間のやりとりの上で「あなたは万人受けしそうね」という評価は、「=褒め言葉」とは成りえません。

「私はいいと思う」「私は好き」を活用して

現在の自分を否定されると、誰もが不安になります。誰でも、ありのままの自分を肯定してほしい、と願っています。

できることなら、現在のありのままの自分を受け止めて、同意して共感してもらいたい。「間違ってないよ、そのままでいいんだよ」と言ってもらいたいものです。

しかし「みんなあなたを認めている」と言ってしまうことは、嘘つきになります。何より、証拠がありません。また“みんな”とは誰を指している言葉なのでしょうか。

あくまで個人で発信できるのは「私はこう思う」とか「私は好きだ、嫌いだ」という主観からのメッセージだけではないでしょうか。

もちろん、「私はいいと思うよ」というメッセージでは、インパクト不足かもしれません。相手を喜ばせることはできないかもしれません。しかし、嘘はついておらず、過大評価をしているわけでもありません。

世の中には薄っぺらい言葉が飛び交っていて、どれもこれも上辺だけのお世辞ばかりですが、ここでしっかりと誠実さをもって地に足を付けることで、“言葉の重み”が生まれるのではないでしょうか。

消費するだけの人間関係なのではなく、積み重ねて厚みが増す深い信頼関係を持てる人は、しっかりと言葉を選んでいるんだと思います。




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