「教育虐待」という言葉をご存知ですか? 親、または親に準ずる立場の人が、子に対して、過度の期待をかけてしまうことを言います。
「あなたのため」と言う言葉を盾に、行き過ぎた教育やしつけを行ってしまうこと。
たとえば、「こんな簡単なテストで100点とれないなら、あなたはうちの子じゃありません!」とか。
「ちゃんと勉強しないってことは、お母さんのことが嫌いなの?」「みんなできてるのに、どうしてあなただけできないの?」「今日はおやつ抜きね、だってこんな点数だったんだもの」など。
テストの点数に限らず、箸の持ち方や、洋服の着方、挨拶など、親は子供に100点満点を期待し、できなくて当たり前、失敗して当たり前なのに、できないことを責める行為も含まれます。
子は「期待に応えなければ親に捨てられるのでは?」と脅迫された気持ちになっています。この時点ですでに虐待は成立しているのです。
1.精神的な児童虐待=教育虐待
よく「優秀な弟は可愛がられたけど、成績があまりよくなかった私は愛されなかった」みたいな話を聞きますが、「それって虐待じゃない?」と言うと、決まってその人はこう言います。「違うよ、だって私が悪かったんだもん」
つまり「私は愛されるだけの条件を満たせなかった存在だから、親は悪くない」と、本人は頑なに信じているのです。
はっきり言って、これも虐待です。精神的な虐待です。世の中には未だに「肉体的な暴力だけが虐待」という考えがありますが、兄弟間での親のエコヒイキだって、立派な虐待なのです。
精神的な支配を受けた虐待の場合、受けた本人に自覚がない、という問題が残っています。肉体的な傷(証拠)が残るわけではなく、親は「あなたのためにお母さんは叱ってあげている!」と暗示をかけています。
そのため、受けた本人の中では「なぜ私が叱られているのか」という疑問が湧きますが「そうだ、私が悪いから親は叱ってくれているんだ」→「私が悪い」に変換され、その後長い時間をかけて精神を蝕んでいきます。
自己肯定ができない大人に育ってしまった人は、何をやっても満足できず、自分に自信が持てません。
その人の人生を大きく左右する、人格形成の根本的な基礎、“教育期間”において、精神的な虐待を受ける、ということがいかに重大な問題であるか。まずは、受けた本人が自覚しなければなりません。
2.私が結婚できない理由
この見えない虐待“教育虐待”を受けた女性は、その後、大人になっても苦しみ続けることになります。
さらに“肉体的な虐待”でなかったばかりに、原因が特定できず、まるで「症状はあるけど、どの病院に行っても病名がないので治療してもらえない」みたいな状況に陥ります。
つまり「結婚したいのに、なぜか結婚できない」「理由はわからないけど恋人ができない」と首をかしげる日々が続くのです。これに身に覚えはありませんか?
親から与えられた偏った考え方や、精神的な支配関係を克服しない限り、おそらくこの苦しみから抜け出すことはできませんし、幸せを手に入れることはできないかもしれません。
「あの人は結婚して幸せそうなのに、私はいつまでも幸せになれない」と思っているのなら、根本的な“幼少時の記憶”を、痛みを伴っても思い出し、原因追求する必要があるかもしれません。
3.親を憎んでもいい
「自分を育ててくれた両親を憎むなんて、どんな理由があってもやってはいけないことだ」なんて綺麗事を言う人がいますが、教育虐待があった家庭に関しては、感謝する前に「憎み切る」という過程が必要かもしれません。
確かに「育ててくれた恩」はあります。だから感謝はします。でも、教育虐待は絶対にしてはいけないことですし、許される行為ではありません。
そのため、教育虐待を受けた独女が次のステップを踏むためには、「自分が虐待されていた事実を認めて、親を憎むこと」だと思います。そのあとに、「許して感謝する」というステップがあります。
人間はそんなに強い生き物ではありません。無条件で親を許すことは、「自己否定」に繋がる可能性があります。
結婚したいなら、
- 親から離れる
- 親を嫌いになる
- 親を憎む
この段階を自分のペースで進めていき、「今までの考え方は間違っていたんだ」とひとつずつ改めていかなければなりません。
次に自分が親になることを考えても、“教育虐待”を連鎖してはいけません。ここで断ち切る、という意味でも、結婚を考えた今が人生の節目。
悪いものをここで置いて、軽くなった新しい自分で挑戦する姿勢が大事です。