いま女子

心理カウンセラーが坐禅に行ってみた。住職から学ぶ「ココロの話」


なぜか最近、神社仏閣が気になる今日この頃。

とくに宗教に興味があるわけではないけれど、困ったときは神頼み、都合良くご先祖様に手を合わせる程度の30代女子がひとり、お寺に行くのは少しハードルが高い気もするし。そんな時に偶然見つけた、カルチャースクールの広告《「いす坐禅」体験会 》。会議室で、いすで坐禅が体験できるなんて素人にはありがたいハードルの低い企画じゃないですか。しかもお寺の住職さん付き。今回は、カウンセラー目線で参加した〈坐禅〉のレポートをお伝えしたいと思います。

当日はあいにくの豪雨 ・・

参加していたのは主婦らしき女性が10人ほど。平日の昼間ということもあって、ちょっと少なめの印象です。だだっ広い会議室には、並べられた10個のいすと、マル○メくん似の期待を裏切らないルックスの住職が待っていました。

若干怪しめの微妙な空気は、住職の満面の笑みですぐにアットホームな雰囲気に。簡単な自己紹介のあと、まず聞かれたのがこの質問。

「みなさん、今日の目的はなんですか?」

講座やレッスン、ワークショップに参加をする時って、何かしら「目的」があるものです。そのほとんどが、自己成長、スキルアップ、なにかしら「自分のレベルアップ」を望むことがほとんど。大切なお金と時間を払うからには、「なにかを得たい」そう思うのもあたり前のことなのですと。たしかに・・・とさっそく納得。でも、住職たちが〈坐禅〉をする目的は逆なのだとか。それは「削ぎ落とす」ということ。日々、私たちのまわりに溢れている情報や、物事、欲求、自分をよく見せようとしたり、責めたりすること、頭の中でたえず考え続けているなにかをいったん横に置いて、無垢な「自分」そのものに返るためのもの。

「今日は『何も収穫がない』ことがいいんですよ」

うーん、なんとも深いお言葉。他の講座では聞いたことがないスタートだわ。わざわざ参加した人たちに「何もない」って言いきっちゃう勇気、しかもうなずけるから面白い。なによりも、結婚・退職・引越・旅行・・・と次から次へとイベント続きで、脳内が落ち着かなかった私にはありがたいお話。そう、「無」になりたかったもので(笑)

いす坐禅をやってみた。

さて、レクチャーを受けながら始まった<いす坐禅>のやり方。簡単なようで意外と難しいのです。覚えているかぎりでこんな感じ。よかったら、読みながらできる範囲でやってみてくださいね。

・骨盤を立てるようにしていすに軽く座る
・ゆーっくり、鼻だけで腹式呼吸
・両手は丸い円を包むような形で重ねて、親指を上にして指先だけ軽くつける。
・状態を少し左右に揺らしながら、違和感のない位置(真ん中)を探す
・腰・背骨・首・頭が積み重なるように。頭だけ下を向かないように。
・その姿勢のまま、視線だけ斜め下45度
・目は閉じない

これだけ。目を閉じると、誰かや他のことに想いを馳せて意識が遠くに行ってしまうので、薄目を開けていることが大事なんだとか。あと、寝ちゃうし。薄暗い部屋で、この状態で肩の力を抜いて、ただただ呼吸を・・・なんて、実際にやってみると予想とは全然違う状態になりました。

やって来たのは、雑念に次ぐ、雑念!!フライングゲームのように、脳裏に次から次へとなにかしら、どうでもいいことが浮かんで来て、まったく落ち着かない。今日のランチ、仕事のこと、気になっていたこと、、、「無にならなくては!」と思うと今度は「無」という漢字が浮かんで来る始末。まるで「意識」が津波のように襲って来て、普段からどれだけ頭の中がグルグルと「考えていることでいっぱい」なのかがよくわかりました。これでは気持ちを落ち着けるのも難しいわけだ。

10分と短い時間でしたが、参加者全員が「何かしら浮かんで来て、無になれない」と同じ感想。するとお坊さんはニコッと笑って「僕たちだって、無になんかなれません」とのこと。え、そうなんですか?ちょっと意外です。長年、坐禅をしていても常になにか浮かんで来てしまうのが普通のことなんだとか。「雑念って、悪いものではないんです。私たちに無駄なものはありませんから。ただそこで、浮かんで来たことを深追いしないで、右から左に流してあげる。浮かぶことは悪いことではないのですよ」ランチのイメージきた~と思ったら、それを右から左に流す。ムカつくこと言われた〜と感じたら、右から左へ流す。うーん、それこそ神業かも。

でもこれって、日常でも同じことなんだなって。私たちはまわりの「何気ない言葉」や「小さな態度の変化」から、相手の意図を勘ぐり、理由を深く考えすぎることってよくある。目についたカケラを拾っては、自分を責める要素をつくり出したり、相手にダメ出しをしては苦しむことを繰り返しているもの。私もよくやっていたし、お客さまからも多くいただくご相談でもあるのです。そりゃ、すべてを右から左に流しては仕事にならないかもしれないけど、必要以上に深掘りし、抱え込むことを止められたらどんなにラクかしらって、テクニックではなくて自然に受入れては流すことを教えてくださった仏様に、思わず合掌。

日々のタスクに終われ、不足感や焦りやイライラを感じたときは、坐禅とまでは行かなくても、肩の力を抜いて、少し時間をとってみるのもいいかもしれません。情報に飲み込まれて、自分の心まで持っていかれそうな時には、ただただ、呼吸に意識を集中して「いま、ここ」を感じてみる。心を学ぶとは逆の発想「心をカラッポ」にしてみること。いま女子世代にはちょっと地味すぎるかもしれないけれど、やってみる価値は十分にありそうです。よかったら試してみてくださいね。

※都内で坐禅体験できるスポット、たくさんあるみたいです。




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