いま女子

どんな人を大切にしたらいいの?本当に友達にすべき人


友達とは自然にできるもの。私もそう思ってきました。幼稚園時代も、小学校でも、いつのまにか気の合う仲間に囲まれて楽しく過ごしていた記憶があります。

ただ、それは邪心のない子供の頃の話。どうも、中学、高校、大学、と年を重ねるにつれ、“友達”とは名ばかりの、「利用しようとする人」が出てくるのも事実。

そうなると、浮かび上がってくるのが「どんな人を本当に大事にしたらいいのか?」という問題です。いつも遊びに行くあの子か。それとも、困ったときに助けてくれたあの子か。

大人になって“友達”の概念がグラグラしてしまったとき、どこに立ち返って考えたら良いのでしょうか。今回は、そんな“友達”についてのお話です。

本当は友達ではない人

私が小学校6年のとき、同じクラスにAちゃんという友達がいました。彼女とはいつも一緒にいて、誕生日も近く、気の合う最高の親友だと思っていました。

彼女の誕生日にプレゼントをあげて、快く受け取ってもらえて「よかった」と思っていた数日後、今度は私の誕生日がきました。しかし、休日明けということもあり、彼女からは何も言われませんでした。

プレゼントはもらえないにしろ、おめでとうくらいは言ってくれるかな、と期待していたのですが、それすらありませんでした。「まあいいや」と思っていると、さらに数日後、衝撃の出来事が。

クラスで作っていた壁新聞に使用するペンを、新しいものに取り替えるときに出た包装ビニールを、彼女はくしゃくしゃっと丸めて、私に渡しました。そして「そういえばこないだ誕生日だったよね、これ誕生日プレゼント!」と笑顔で言ったのでした。

それから彼女とは疎遠になり、卒業まで一言も口を聞きませんでした。どうやら周囲の友人の話によると、彼女は私の悪口を以前からばらまいていたようなのです。

大切にしてくれない人は友達ではない

よく「友人から雑に扱われている気がする」とか「友人の中でもランク付けされていて、自分はどうも下の方に設定されているようだ」などと感じる人がいるようです。

そのような雑な扱いを受けることに、メリットを感じる人はいるでしょうか。また、「私は雑に扱われても、あの子のこと大事に思ってる」という片思い状態で、“友達関係”と言えるでしょうか。

相手が雑に扱ってくる、ということは“大切に思っていないから”ではないでしょうか。もしくは、ただの“利用できる人脈のひとつ”としてしか捉えていないのかもしれません。

利用できる人脈のひとつであるのなら、それは友人よりも、「知人」と言った方が正しいでしょう。利用できなくなったらポイっと捨てる。面倒になったら切り捨てる。利用価値があるときだけ利用する。これを“友達”とは言いません。

そう考えると、もしかしたら今電話帳に登録されている、あの人もこの人も、友達とは呼べないのかもしれません。

友達=ありのままを受け止めてくれる人

利用したりされたりする人同士で、便宜上「友達」を名乗ることはあります。ですが、それはあくまで表面上のことです。悲しい時に一緒に泣いてくれるような本当の友達は、どのくらいいるのでしょうか。

友達は、苦しいときに助けてくれるのではなく、お金がないときに恵んでくれるわけでもなく、心配してくれたり、声をかけてくれたり、見守ってくれたりする人のことではないのでしょうか。

みんな友達じゃなかった…?

人生には波がありますが、今まで「ここはどん底だな」と感じた瞬間はありますか?私の場合、妊娠して相手の男性からDVを受け、つわりが酷く、地面を這って病院に通っていた時期は、今思い出しても辛かったなあ、と思います。

このとき、体重は変わらないのに体はどんどん細くなり、お腹は大きくなり、体中が痛み(何も食べていないから)、いつやってくるのかわからない男性の存在に怯えていたのですが、頭の中は自殺することばかり考えていました。

そんな中、突然、大学時代に知り合った友人から連絡がきました。彼女は別の大学の学生でしたが、就活で知り合った人でした。

当時、今までいた友人にメールをしていましたが、みんな「お金の無心をされるのでは」と思ったのか、「自業自得だね、まあせいぜい頑張ってよ」というメールを送ってきました。このとき、「ああそうか、友達だと思っていたのは私だけだった」と思いました。

一番辛い時にそばにいてくれた人

彼女は「元気?」とメールをくれました。「なんか急に思い出して」と。私は、今の状況を説明しました。辛くて毎日死にたくてしょうがない、と。

すると「じゃあ、一緒にごはん食べに行こうよ!」と彼女は誘ってくれました。なぜか私は、彼女とだったらごはんを食べることができるような気がしました。

久しぶりにきちんとした服を着て、男性がこないか注意を払いながら外出しました。彼女は変わらず、私に笑顔を向けてくれて、そのとき「生きててよかった」と思いました。

大きくなったお腹を触ってくれて、一緒にプリクラをとって、ごはんを食べました。もう長い間こんな楽しい時間を過ごしていなかったので、救われたような気がしました。

私がほしかったのは、「今こうしている私」のことを、嫌な顔で見ることもなく、ただそのまま受け止めてくれる存在でした。今の私があるのは、彼女のおかげだと思っています。

こんな私を信用してくれた

彼女に感謝すべきは、「嫌な顔をして立ち去らなかった」ことだけではありません。彼女は私を「良い」とも「悪い」とも評価しませんでした。そして、「あなたならできると信じている」という姿勢を崩さなかったことです。

その後、住んでいたアパートを引き払い、実家に戻って出産し、今は子供も大きくなりましたが、彼女の「あなたがどこで何をしていようと文句は言わない。あなたのことだから、考え抜いて出した答えを突き進むだろう」という考え方は、私の支えになっています。

自分も大事・あなたも大事…友達関係の緊張感

友達関係というのは、とても身近で、だからこそ勘違いしやすいのかもしれませんが、やはり「ここから先は立ち入ってはならない」という線があり、その線を意識しながら付き合う緊張感のある関係だと思います。

そのため、「友達にすべき人」としてポイントを上げるとするのなら、以下のようになります。

自分がされたくないことは相手にしないのはもちろんのこと、悔しいからと言って相手の足を引っ張るようなことはしてはいけませんし、遠慮して率直な意見交換もできないようなら友達ではありません。

また、少しの間違いを責めて関係を断ち切ったり、どちらかが一方的に搾取したりするような関係も、友達とは呼べません。

友達はもうひとりの自分である

人は誰でも、自分のことをが大事です。それは、目の前にいる相手も同じです。そのため、「あなたはあなた自身が大事ね。私も私自身が大事よ」という暗黙の了解があります。

しかし、中には「私は私が大事だから、あなたは私の犠牲になってね」とか「私は私が大事だから、あなたの大切にしているものをちょうだいね」と笑顔で言うようなフレネミーがいます。

このような利己的な人に出会うと、残念ながら“自分を大事にするように”は相手を大事に思うことができません。それどころか、信用できないので「敵だ」と認識してしまいます。

人間関係(特に女性は)というのは心理戦ですが、「友達は数が大事」と思っている人や「利用価値の高い人が一番の友達」と思っている人が「困ったときに誰も助けてくれなかった!」と嘆いているのを見ると、悲しい気持ちになります。

“本当の友達”とは、もうひとりの自分のような存在です。自分と同じくらい大切な存在です。だから、その人の行く道を阻害してはならないし、失敗する権利も奪ってはいけません。また、その人の財産を搾取してはいけないし、考えを頭ごなしに否定してもいけません。

そういう“約束の線”を超えないように、慎重に付き合っていける関係が“本当の友達”なのではないでしょうか。

時には苦言を呈することもあり、叱咤激励することもあり、転んでも手を差し伸べず見ているだけかもしれませんが、それは「本当に大切だからこその厳しさ」です。

表面上はみんなのことを「友達だね」と言っておかなければなりませんが、あなたにもきっと「自分自身と同じくらい大事に思える友達」がいるのではないでしょうか。その人の手は、絶対に離してはいけません。絶対に、です。




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