いま女子

《第1回》アラサー女子の憂鬱 ~見えない大きな「線」~


「ウチらって、もうアラサーだしさぁ~」

ロッカールームに響いたその声に、沙和は思わずビクッと身を縮めた。振り返ったら、4年目の後輩二人がメイクを直しながら、女子トークに華を咲かせている。


大手金融機関で働く沙和。渋谷からほど近い私鉄の駅近くの支店に配属されて、早8年。気付けば今年で29歳だ。まさに「三十路目前」の沙和にとって、「アラサー」は、いちいち心のどこかにつっかかるワード。

「あれ? でも、あの二人って、たしかまだ26歳のはずだよね……」

沙和がそう心の中でつぶやいたのを見越したかのように、小声でこっそり話しかけてきたのは同期の有紀だ。

「26歳なんて、まだ本物のアラサーじゃないのにね。ていうか、アラサー、アラサーって、自分で言ってられるうちが華だよねぇ」

思わず、深くうなずいた。

まだ20代半ばの彼女たちは、「アラサー」を自虐的に使っているようで、実はあまり自虐していない。というか、むしろ「アラサー」を楽しんでいるに違いない。

それが、28歳をすぎて「リアルアラサー」に進化すると、途端に「アラサー」を口に出すのが恥ずかしくなる。「アラサー」っていう言葉で、自分の年をごまかしているのがたまらなくダサいと思うようになるのだ。

「ホント、そのとおりだね」

そう小さく返事をして、「なんちゃってアラサー」の後輩二人を見ると、ハンディタイプのコテで髪を巻き直している。

「あの二人、今日、これから合コンなんだって」

聞いてもいないのに、わざわざ報告してくれる有紀。
その言葉を片耳で聞く沙和には、ウキウキしている後輩たちの姿がまぶしく映った。

――あんなふうに華やいだ気分、しばらく味わってないよなぁ……。

半年以上も出会いの場に行っていないことに気付いて、ちょっと茫然とする沙和。
でも、次の瞬間――。

「いいよねぇ、仕事がヒマなコたちはさ~」

後輩には聞こえないように小声で、でも、しっかりと嫌味がこめられた有紀の言葉。


沙和は我に返った。その沙和の表情を見て、有紀も「あ、ヤバ……」というような気まずそうな表情を浮かべる。

だって、同期といっても、自分と有紀は違う。有紀は、いわゆる総合職。しかも、一般職で入社したにもかかわらず、昨年総合職に職種転換したツワモノ。

男性社員と同様にキャリアアップを目指して働き、有紀自身も「出世したい!」「男には負けたくない!」というガッツがもろに溢れ出ているタイプだ。最近の金融機関では、総合職、一般職という呼び名をやめ、両者の仕事の垣根をなくそうとしている。

でも、いわゆる「総合職」の人と自分とは、目指す将来像や仕事に傾ける情熱が全然違うんですけど。そう沙和は思っている。

こんなご時世だし、結婚したからといってすぐに「夢の寿退社♪」という女子は、それほど多くない。支店内にも、結婚後も仕事を続けている先輩がたくさんいる。

でも、沙和は知っている。左手薬指に輝くリングがある人とない人の間には、見えない大きな「線」が引かれていることを。

だからといって、いますぐに結婚できるわけでもないし、そもそも相手もいないし、出会いもない。だけど、後輩たちのようにはしゃいで合コンにでかけていく年齢は過ぎ去ったような気がしている。

ううん、年齢のせいじゃない。合コンに行くのが億劫になっているだけだ。

初対面の相手とあたりさわりない会話をしながら、幹事のコに迷惑がかからない程度に愛想をふりまき、感じのよい女を演出する。料理のとりわけも、女性陣から「狙ってる」と思われない程度に自然にやってのけ、グラスが空いている人がいればドリンクの追加注文をオーダーしてあげる。

「イイ男との出会い云々」以前に、参加者全員に気をつかいすぎて、1次会が終わるころにはクタクタだ。そんな沙和からすると、周囲のことなんておかまいなしで狙った男をグイグイと押していける女や、2次会に行くフリをして男と一緒に消える女の気がしれない。

いや、それはきっと嫉妬の裏返しだ。

自分だって、そんなふうに自由に振る舞ってみたいと心のどこかでは思っている。でも、できない。そんなことをして、他の女子から陰口を叩かれるのが怖いし、そもそも自分からガツガツとモーションをかけられるほどの自信もない。そんな現実を思い知るたびに、ため息がでる。

だからといって、有紀のようにバリキャリ目指して腹をくくれるかというと、そんな覚悟もなかったりする。
どっちつかずな自分が心の底からイヤになる。

「いったいあたしの未来、どうなるんだろう……」

この頃、週4回は繰り返しているこの言葉を、沙和は心の中でつぶやいた。いい人に出会って幸せな結婚をして、という未来はリアルに想像できない。でも、独身のまま、彼氏もできないまま、今と何一つ変わらずこの職場で働いてる自分の姿はありありと想像できてしまうのが怖い。

その時――。
沙和のスマホが鳴り、LINEのポップアップが表示された。
送り主は、俊太。

1年前に別れた元カレだ。

いや、「別れた」というのは間違っているかもしれない。そもそも、俊太とはきちんと付き合ったわけじゃなかったのだから。沙和が俊太に入れあげていたことは確かだ。でも、最後まで俊太の気持ちは分からなかった。一度も「好きだ」と言われたことはなかったし、他の女の影を感じたことすらあった。

「私って、都合のいい女? ただのセフレにされてる?」

そう感じたこともあった。
もちろん、将来を考えられるような男じゃないことは、沙和だって分かっている。30歳を前にして、「時間のムダ」と言われればそれまでだ。

それなのに会っていると楽しくて仕方ない。
「こんな男のどこがいいんだろう」と自分でも不思議になるくせに、会うと離れられなくなる。そんな矛盾を抱えながら付き合うことに、心が消耗してしまい、沙和から別れを切り出した。

俊太は「えぇ~! もう会わないとか、寂しいこといわないでよ」と、一瞬神妙な表情を見せたものの、次の瞬間には「じゃあ、また気が向いたら連絡してよね!」と、あっけらかんと言い放ったのだ。

「ハ? 気が向いたら?」この別れを言うために、私がどれだけ苦しんで悩んだと思ってるの!?自分は俊太にとっていったいなんだったんだろう……。去っていく彼の後ろ姿を見ながら、そんなモヤモヤ感だけが残ったのだった。

あれから1年たっても、俊太の無邪気ぶりは相変わらずだ。
LINEを開くと

「久しぶり!最近元気?」

久々の連絡をする際には誰もが送るような、型で押したような文言のメッセージが。俊太が憎たらしいのが、沙和の心の隙間を見計らったかのような絶妙なタイミングで連絡をしてくること。

「私の心に盗聴器つけてる?」

そう疑いたくなるくらいだ。

実は、この1年間の間に、俊太からの連絡を受け、3度ほど会ってしまった。ただ食事をするだけなら……と言い聞かせて会ったはずだったが、3回とも食事だけでは終わらなかった。

絶対に自分を幸せにしてくれない男だと分かっている。

それならLINEをブロックしてしまえば済むのに、それはできない。俊太にまだ未練を抱いている自分が情けない。自分でもそう思う。

とりあえず、いったん既読スルーを決め込もう。そう思ってスマホを伏せた時、ふいに有紀が小声で耳打ちしてきた。

「実はね、私、結婚相談所に登録したの」

沙和は、頭をハンマーで殴られたようなショックを受けた。だって、有紀は、仕事が生きがいで、結婚とか恋愛とかまでは考えう余裕なんてないはず。ずっとそう信じて疑わなかったからだ。

「うちら、来年30じゃん。親もうるさいしさー。でも、職場じゃ出会いもないしね。恋活アプリのOmiaiとかは使ったことあったけど。結婚相談所は初めてなんだよね。とりあえず、友達が登録してる“ゼクシィ縁結び”ってところでやってみようかなぁって」

苦笑いしながら、有紀はスマホを取り出し、ゼクシィ縁結びの会員専用サイトを見せてくれた。すでに、メッセージのやりとりを進めている相手が何人かいるらしい。

「そうだね。結婚とか、そろそろちゃんと考えないとだよねー。あー、私も何か出会いないかなぁ」

そう適当に返事をして、沙和は慌てて笑顔を作った。その笑顔が引きつっているのが自分でも分かる。

支店を出て、駅に向かう途中、沙和はスマホを取り出し、LINEを打っていた。

宛先は、俊太――。

「元気だよ。またご飯でも行こうよ♪」


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