親に支配されている、親に過度に干渉されている、親に否定しかされない。そんな中で生きてきたあなたは、毒親によって“良い娘”を演じるだけの生き方になっていませんか?
周りになかなか相談することが出来ない内容だからこそ、さらに自分を追いつめてしまってしまい、限界を感じてしまうのかもしれません。
“良い娘”でいることを期待されている
親は子どもに期待する気持ちを少なからず持っています。
こんな風に育ってほしいとか、こんな娘であれば嬉しいとか、様々な期待を胸に秘めながら子育てをしてきたでしょう。
しかし、その理想があまりにも高かったり、子供よりも世間体を気にする親を持ってしまうと、毒親に化けてしまうことがあるのです。
「親の言う通りにしていれば間違いないんだから」「親に恥をかかせないで」など、親が絶対であり、歯向かうこと、反論することを許されずにいた娘は、いつしか毒親の理想通りの“良い娘”を演じるようになっていきます。というのも、親の顔色を伺うようになった娘は、「こうやったらまた叱られるだろう」「どうせ否定されるだろう」という考えを無意識に持つようになってしまうからです。
だったら、“良い娘”でいれば何事も問題にならずに平凡に暮らせる。
そう思って感情を抑制してしまうのも仕方ないですよね。過度な期待、言葉の暴力。。そんな重圧によって良い娘を演じなくてはならなくなった背景があるでしょう。
“良い娘”へのプレッシャー
毒親を持つ人は、いつしか“良い娘”を演じることに限界を感じるようになります。
そりゃそうですよね、本当の自分ではなく、良い娘であるようにずーっと心掛けて意識しながら生活している訳ですから。
ひどい人では、本当の自分がどういった人間なのかすらも分からないこともあります。これは親による“こころの虐待”と言っても過言ではありません。
良い娘であればこう発言するであろう、良い娘であればどう動くべきかな。
そんなことをいちいち意識しながら行動する、限界がきて当然だと思います。
毒親に怯えたり、顔色伺ったりっていう生活が当たり前になって、次は“良い娘”の有り方を自分で考えるようになってしまう…。
いつになっても、この立場から抜け出せないのが、心を蝕んでいく理由でもあるでしょう。
毒親から離れてみる勇気を
自分が自分じゃないみたい、もっと自分を表に出したい、そんな思いを持っているなら、一度毒親との間に距離をおいてみることも一つの方法です。
常に一緒にいて同じ環境や状況の中で生活している限り、自分の意識も変わらなければ、親との関係性がどれほど世間と違っているかにも気付けないでしょう。
離れてみて気付く
一度離れて生活してみると、「やっと自由になれた」「今まで親との距離が近すぎたんだ」そう気付く人は多いものです。
一緒に生活していると、親が毒親であることにすら気付けない場合があるんです。
近くにいて当たり前の存在であり、自分にとって絶対的な存在だと、ある意味洗脳状態になってしまっているんですよね。
良い娘を演じている以上、そこに罪悪感や責任感が生まれてしまいますが、「実家を離れ一人暮らしを始めてみる」など、親から離れてみること、一人になってみることは、決して親に対する裏切り行為ではありません。
離れて、自分たち家族のことを客観的に見てみてください。きっと近すぎる距離に気付けるはずです。
限界を感じた時には、他人に相談してみよう
自分の親が毒親であると思い始めたり、毒親によって息苦しい生活をしているという人は、誰かに助けを求めることも大切です。
家族の問題だから…と内に秘めてしまうことで、自分がどんどん追い詰められてしまうこともあります。
睡眠不足が続いたり、精神障害などの症状が出てしまっている場合には、心療内科や精神科にいってみることもいいと思います。また、心理カウンセラーなどの専門家による相談や窓口電話での相談を受け付けている所もあります。
他にも、全国共通ナビダイヤル・人権相談など県報や市報・役所のHPからも情報は得られるものです。
家族のこと、身内のことってなかなか相談出来ないものですよね。世間体を気にしている親にとって、周りの人に知られること自体不快に感じるかもしれません。
しかし全くの他人ですので、行政で行っている相談窓口や心療内科の医師によるカウンセリングを受ける際に情報が洩れるということはまずないに等しいでしょう。
個人情報がうるさく言われる世の中になったからこそ、こうした機関の支援・福祉サービスを上手に使って、自分に合った解決法を探し、問題を出来る限り一人で抱えまないことが大切です。
最後に
毒親を持つ友人が、専門の窓口に相談にいった時、周りには涙を流しながら話している人、怯えるようにキョロキョロと気にしながら相談している人など、毒親によって窮屈な思いをしている人たちが多く見られたそうです。
親と子供。血縁関係で結ばれた一番身近な存在だからこそ、そこには深い問題が隠されていることもであります。限界を感じたままではなく、解放された自由な人生を歩んでみたいとは思いませんか?