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手紙や逸話に見る、有名武将の「LOVE」

投稿日:2016年3月1日 更新日:


恋愛にまつわるメールやLINEの流出で賑わう昨今。現在でいう政治家・戦国武将たちはどのように思いを伝えていたのか。『愛と夜の日本史スキャンダル』の著者が武将たちの手紙テクを教えます。

日本で最古のラブレターは豊臣秀吉!?

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http://www.photo-ac.com/

一説に、日本で現存する最古の「ラブレター」は豊臣秀吉のものだといわれています。現在ではLINEなどスマホ用のアプリで秘密のメッセージをやり取りするカップルが増えていますが(そして、それが流出したりしてトラブルになったりしていますが)、こういう問題は秀吉の時代以前もありえました。

実際、『源氏物語』で、中年時代の光源氏が十代の妻・女三宮がヨソの男からきたラブレターを隠しているのを知って、激怒するシーンもありますね。

こういうことが、死後すら起きうるのが有名人の常です。日本史では長い間、有名人=歴史に名を残す人物は基本的に上流階級出身者でしたから、彼らは死を覚悟すると、その手のごく私的な手紙の類は処分します。それが暗黙のルールだったのですね。

そういう記録の生き残りを集めたのが拙著の『愛と夜の日本史スキャンダル』ですが、たとえば、秀吉に念願の跡継ぎの男子である鶴松を産んで授けてやれた淀殿に送られた手紙には、こういう露骨な一節があります。

「廿日(はつか)頃に必らず參り候て、若ぎみ抱き申すべく、その夜さに、そもじをも側に寢させ申し候べく候。切角御まち候べく候」。
(二十日頃には必ずそちらに行ける予定です。鶴松を抱っこしようと思いますが、その日の夜は、淀殿、あなたも隣に寝てもらおうと思います。楽しみにお待ちになってください)。

妙に丁寧な言葉遣いが逆にエロいですね。子どもの鶴松にかこつけてはいるが、淀殿との夜の約束をしているのです。農民出身者が朝廷の関白にまで出世した秀吉は乱世が生んだ奇跡のような人物ですから、上流社会のルールに大ざっぱでいられたのかもしれませんね。

秀吉以外、みなさんに人気の戦国武将はすべて、当時の上流階級ですから「戦国武将の恋文」の類で、信頼できるものはほとんど残されていない……と言わざるを得ないのです。

「鬼」と言われた武将のほっこり愛事情

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http://www.photo-ac.com/

しかし、例外もあるのです。現時点では知る人ぞ知る、的な知名度かもしれませんが、女優の杏さんがスキだと公言している島津義弘。秀吉の朝鮮出兵に従軍して活躍、現地で「鬼島津」と呼ばれました。

関ヶ原の戦いでも周囲を8万といわれる徳川軍の敵勢に取り囲まれながらも、300程度の兵で突破し無事に薩摩に帰国した島津義弘は、猛将だけでなく愛妻家としての顔も有名だというのですね。

3人目の正室・宰相殿に宛てた彼のラブレターがあるとされるのですが……公式な書簡集を実際にひもとくと、彼ですら、現代人を「オオッ」とさせる手合いの手紙は出てこないのです。

たとえば朝鮮に出兵する途上、立ち寄った壱岐から義弘が送った手紙(『薩藩先公貴翰』の156番の手紙)には、子どものことを気にしたり、砂の上に紙を広げてこの手紙を書いているというニークな一節は含まれているが、ラブレターというより熟年夫婦の手紙って感じです。

秀吉のように愛情を直に伝えるフレーズは出てこないんですねぇ。

「其のちおとつれなく、心もとなふこそ候へ」
(宰相殿の返事が来ないから、私は大変心配している)

程度のおくゆかしい表現で、愛妻の身体を案じることがある程度なのでした(前掲書「162」)。

男女の関係がおくゆかしすぎる一方で、男色は別枠……というか、わりとおおっぴらにしてよかった観がありますが、それについてはまた機会をあらためてお話しましょう。

堀江 宏樹 著(ホリエヒロキ)




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